参考文献



1)前史 大正ロマンと美術教育
1903/00/00「戸籍」佐渡郡稲鯨村村田清太郎 .
1916/08/29「早大学長問題顛末書」早大有志
1923/02/28「クローチェと対話」読売新聞北
1981/09/05「学制百年史」文部省
1918/00/00「日本美術学校」
1921/00/00「三木清」
1928/00/00「今井兼次」
1928/00/00「ギョイヨー」北

2)吉祥寺時代 「帝国美術学校」の創設 1929-1934(6年間)  1934-1943(校舎閉鎖の9年間)
(多摩帝国美術学校)
1929/09/02「借地契約書」小美濃文太郎
1929/00/00「設置」公文書館
1929/00/00「第一回教授会名簿」教授会
1930/12/00「学生募集」祖国12月号広告 北
1932/00/00「学友会名簿」学友会
1932/06/00「応援歌」北原白秋
(帝國音楽学校)
1917/00/00「設置」公文書館
1932/06/00「第二次帝国音楽学校」
1932/00/00「入学式案内」「第一回演奏会」
1933/00/00「帝国音楽学校を解剖」音楽世界
1934/07/25「会員録」
1935/02/19「ビラ」学生会有志
1935/02/00「声明書」職員有志
1935/02/11「声明書」学生会
1935/02/15「創立までの経過報告」在京同窓生

3)帝国美術学校の消滅 (移転反対運動)

4)その後の移転反対派 (南臨地の動向)
0000/00/00「学生一覧」
1935/04/24「同盟休校」新聞各誌 池田愛子
1935/05/25「木下宛書簡]北れい吉
1935/06/24「同盟休校事情報告」多摩帝美
1935/06/28「校舎釘付封鎖」写真朝日新聞
1935/06/00「紛争の顛末」多摩帝国美術学校
1935/07/05「木下宛教授団通告書」
1935/00/00「教授団宣言」 代表井上忻治
1935/00/00「宣言」今井兼次 
1935/07/09「絶縁状」学生一同
1935/00/00「帝国美術学校創立事情」金原
1935/00/00「移転反対訴訟」原告:木下成太郎
1934/09/00「金原省吾日記」金原省吾
0000/00/00「学校日誌」武蔵野美術大学
1935/09/18「借地契約書」小美濃文太郎
1924/00/00「在鮮四年有余半」 丸山鶴吉自伝
1927/00/00「魂はおどる」 田中次郎吉小説
1932/00/00「関東大震災の復興校舎」日本女子大
1934/00/00「自伝:50年ところところ」丸山鶴吉
1963/00/00「武蔵野美術大学を造った人びと」

5)上野毛時代 「多摩帝国美術学校」の創設 上野毛前期 1935-1946年  (11年間) 外部基金
1935/00/00「1936度学生募集要項」表側 裏側職制
1935/02/00「工事随想」工芸美術 今井兼治
1935/03/28「設立申請類」公文書館
1936/05/25「名簿」図案科会デゼグノ1号
1935/09/06「多摩帝国美術学校生る」
1935/00/00「設立趣旨書」
1935/09/00「学長挨拶」
1935/09/10「生徒声明書」生徒一同
1936/00/00「自伝60年」杉浦非水
1936/00/00「自伝」広告界 杉浦非水
1937/00/00「1938度入学案内」
1937/00/00「1938度入学案内女子部」
1937/10/30「財団法人設置」公文書館
1937/03/20「日大芸術科学生募集」東京朝日新聞
1940/00/00「皇紀2600年」単行本大川周明
1935/00/00「東方の光」伝記岡田茂吉
1936/02/26「北一輝」
1936.00/00 「デゼグノ」1-10年号
1936.00/00 「学生一覧」
1939/00/00「多摩美術 第1-4号」TTB
1944/11/00「多摩美術 学徒出陣」1号 TTB
1944/11/00「名簿」多摩美術 学徒出陣 1号
1985/00/00「校舎模型」座談会録音 原 萩原 土方
1985/00/00「多摩帝國の10年」風間一男調査


6)米軍の精密爆撃 1945年5月24日(戦災)
1936/03/17「兵役猶予不許可」 公文書館
1934/00/00「アニマ」
1944/00/00「海軍電波物理研究所」

1945/05/24「米軍の精密爆撃」

7)溝ノ口時代「多摩造形芸術専門学校」敗戦後の復興 1946-1950年 (4年間) 
1945/00/00「徒然草紙」牧野虎雄日記
1946/07/25「帝国憲法改正案」北れい吉質疑
1946/00/00「設置」公文書館
1947/03/01「復興宣言」多摩造形芸術専門学校
1984/00/00「談話」渡辺素舟
1946/06/25「帝国憲法改正案」
1948/00/00「生きている画像」映画封切 牧野虎雄
1945/09/00「ワシントンハイツ」 
1945/09/00「連合軍家族用住宅集区」
1949/03/08「多摩美術 復刊第1号」 校友会

8)上野毛後期 理事会の自立
「財団法人多摩美術短期大学」 1951年-1952年 (2年間)
1951/00/00「政界回顧20年」日本乃日本人 北れい吉
1952/00/00「猶興」巻頭言 北れい吉
1950/00/00「設置」公文書館
1952/00/00「学生の身分等に関する綴」
1952/00/00「名簿」多摩美術学校第16回卒業生
「多摩美術大学」新制大学へ昇格1953年- (37年間) 
1952/12/00「後援会」会長 北れい吉
1952/00/00「第16回卒業生住所録」
1952/00/00「設置」公文書館
1954/00/00「祝辞」美術大学新聞井上忻治
1954/11/11「創設から現在に至る思い出」 村田晴彦
1960/05/27「多難だった学校設立」美大新聞 村田
1963/00/00「教員名簿」1964年度 募集案内
1955/00/00「学生募集ポスタ 1955-1962」
1954/04/30「DESEGNO 新しいデザイン」創刊号
1954/00/00「名簿」多摩美会卒業生 「名簿」職員
1956/01/00「名簿」多摩図案会 「名簿」在校生
1958/00/00「設計図」上野毛講堂佐藤次夫
1960/11/01「校歌」創立20周年
1963/12/15「北れい吉 追想記」三周忌法要会
1963/12/15「選挙戦を偲ぶ」村田晴彦

9)環八補償と理事会の分裂 (1965年)
1965/06/10「事件の真相」本学の沿革 村田晴彦
1965/09/20「溝ノ口の土地について」村田晴彦
1966/03/30「国会議事録」文教委員会 第51回
1967/00/00「逸見訴訟」登記偽造 東京地裁
1967/10/18「学生運動に関する建白書」村田晴彦
1967/00/00「校地陳情経過1967-1972」村田晴彦
1967/09/20「辺見宿舎の立退命令」東京地裁
1967/00/00「ベ平連マーク」和田誠
1969/08/07「大学臨時措置法」法律第70号施行
1969/10/15「第61回文教委員会」岡田孝平

10)全共闘運動 (1968年) 1年間の授業停止
(理事会)
1968/00/00「1969年度募集要項」未刊
1968/06/14「総合美術大学構想」石田ビジョン
1969/01/25「多摩美術大学の現状」村田晴彦
1969/02/07「筒井解雇」村田晴彦
1969/02/15「訴訟説明」池留三弁護士
1969/12/01「紛争の概要」多摩芸術学園
1970/03/09「入試通知」 「出願状況」
1970/03/19「教員名簿」メモ 「教員昇格」メモ
1970/08/25「紛争の経過 その後の学内問題」
(理事会)
0000/00/00「石田英一郎」
1968/08/00「芸術学科開設」議事録
1968/09/20「逸見宅強制執行」東京地裁
1969/01/00「ライオン会開催」高橋史郎手帳
1970/01/22「特別講義科目」pdf
1970/00/00「記録写真ネガ」高橋士郎
1970/00/00「高橋満寿男書簡」1996-1975
(教授会)
1969/01/00「学外ゼミ」全学教授会
1969/04/12「次期体制への非協力宣言」教授36名
1969/05/17「自主講座」全学教授会
1969/06/03「大学立法に反対声明」全学教授会
1970/02/01「現状について訴える」全学教授会
(教授会)
1970-06/00「安田講堂」
1969/10/00「闘争の源泉」全闘委
1970/00/00「闘争記」滝田
(村田建白書)
1972/03/13「多摩美の企画性」村田晴彦
1972/04/01「隣地払下再申請」村田晴彦
1972/05/28「自然環境陳情」村田晴彦
1973/03/00「全学協力体制」村田晴彦
1973/10/20「文化外交建白書」村田晴彦
1974/10/03「文様研究調査資料」村田晴彦
1974/00/00「多摩芸術開発協会」村田晴彦
1973/04/01「デザイン文様研究」所江上波夫
1971/04/11「幽霊校舎」朝日新聞
1971/04/12「高裁上申書」村田晴彦
1971/04/12「敗訴への反論」学校法人弁護団
1971/00/00「針生訴訟」学外教員地位保全
1971/01/11「八王子について」理事会
1971/01/11「八王子計画」教授会
1972/02/24「スクールバス運行開始」
1972/05/10「新入生歓迎号」学友会
1971/00/00「隣接地域の開発案」高橋史郎
1974/03/00「多摩美術大学沿革史」村田晴彦

11)学長解雇と理事長退職 (1974年) 学長解雇と5理事
1974/04/17「岡田宛質問状」村田晴彦
1974/04/26「学長選挙人会」真下学長
1974/04/30「学長選挙の疑問点」村田晴彦
1974/05/25「真下教授会不正開催」井上監事 池監事
1974/11/20「疑問点への反論」山脇
1974/11/20「村田辞任勧告」5理事 
1974/12/11「学長候補承認要望」教授会
1974/12/26「学長就任 理事長背任」山脇
1974/00/00「5理事訴訟」理事長職務停止東京地裁
1975/01/08「村田の失格確認」5理事
1975/02/12「不正入試」匿名投稿
1975/02/18「陳情書」メモ守屋典郎弁護士
1975/02/21「経過」メモ高橋満寿夫
1975/02/25「真下山脇訴訟」地位保全 東京地裁
1975/02/25「法定闘争」朝日新聞
1975/02/27「高田訴訟」学長不正入学 東京地裁
1975/02/27「国会議事録」第75回 文教委員会
1975/03/05「不正入学の事実」山脇
1974/00/00「チェンセン分校計画」
0000/00/00 真下信一 (守屋典郎)
1974/06/05「理事長辞任反対」多摩芸術学園
1974/10/23「教育システム改善」学科研究室
1974/11/00「団交」書教員組合 奥野健男
1975/04/08「教授会決定の先例」
1976/12/08「特別調査委員会報告書」

12)紛争の終結と文部行政  八王子前期   1976-1995年  (仮設プレハブ校舎の20年間)
1975/07/11「私学振興助成法」法律施行
1979/04/10「試行」学友会
1981/04/19「1号館落成」
1983/00/00「多摩美術大学研究紀要」創刊
1986/00/00「臨時定員増加の措置」
1981/10/19「芸術学科開」講東野芳明
1982/04/21「シルパコーン大学締結」
1989/00/00「美術学部二部」
1994.00.00「校地購入慰労会

13)八王子中期  1996年-2006年  (教育改組の10年間 教育環境の完成)
「里仁爲美」思いやりのあるキャンパスに、美は為す
1997/02/00「北の足跡」佐渡郷土文化83号
1996/00/00「文部省訪問」高橋史郎日誌
1998/04/01「コンピュータ美術教育」
1999/00/00「第一回自己点検報告書」
2003/00/00「第二回自己点検調査書」
2006/00/00「つくる図書館をつくる」鹿島
アーカイブス
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芸術村構想
多摩美会構想
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14)八王子後期 2007年-2018年  (停滞の10年)  2019年-(新たな局面)
1976/00/00「多摩美術大学40年の歩み」高橋 江尻
1986/00/00「多摩美術大学50年小史 草案」高橋
1986/00/00「多摩美術大学50年史」
1991/00/00「武蔵野美術大学60年史」
2008/00/00「武蔵野美術大学のあゆみ」
2009/00/00「大学基準認定」大学基準協会
2015/00/00「多摩美術大学の80年」
(鑓水の風土) 「八王子校地の沿革」
1856/00/00「古地図」YOKOHAMAフランス軍
1880/00/02「古地図」南多摩郡 鑓水村 ドイツ式
1999/00/00「幻の相武電車と南津電車」
1980/00/00「呪われたシルクロード」逸見じゅん
2015/00/00「ふるさと鑓水」鑓水歴史研究会
0000/00/00「仲宗寺」単行本 (鑓水の風土)
「開発物語」 「鑓水綺譚」 「Tama博物誌」

15)あとがき  参考文献  学生定員の推移  教員の変遷  役員の変遷