八田尚之

1905年 小樽

1939年 映画『空想部落』 (監)千葉泰樹(原)尾崎士郎(脚)八田尚之(音)深井史郎(美)中川一政
     南旺映画創立第1回作品 映画国策を提唱した代議士 岩瀬亮により設立
     尾崎士郎   (浮谷善兵衛:殿山泰二)早稲田大学政治科を中退 国家社会主義 時事新報の懸賞小説で二席
     宇野千代   (草上滋子:澤村貞子)尾崎士郎と菊富士ホテル(東京本郷)で同棲 時事新報の懸賞小説で一席
     星野幸子   (香島満子:志賀暁子)大森駅東口のバー「白蛾」のマダム
     吉田甲子太郎 (柿村保吉:三島雅夫)早稲田大学英文科卒 翻訳家、児童文学者
     川端康成   (高松一郎:)東京帝国大学文学部国文学科卒業
     萩原朔太郎  (浦野空白:)パノンの会
     室伏高信   (平飛高次郎:薄田研二)明治大学法科を中退 狂信的な国粋主義 戦後は思想転換
     榊山潤東郷青児(坂貫源平:)陸軍航空隊の報道班員としてベトナム、タイ、ビルマを転戦
     秋田忠義   (横川大助:千田是也)改造社の編集者 図解満州産業大系
     松沢太平   (黒住長彦:  )書店「チップトップ」の主人 文士村の門番 
     小説『空想部落』1936年から朝日新聞の夕刊に連載された尾崎士郎の小説 馬込文士村に暮らす作家たち 
       

1942年 劇団 苦楽座が設立 徳川夢声、薄田研二、丸山定夫、藤原釜足、八田尚之
1943年 『若き姿』1942年設立の国策会社:朝鮮映画の第1回作品 [『若き姿』の国策性]
1945年 移動公演 丸山定夫チームの「桜隊」原爆で9名が被爆し5名即死 新藤兼人監督『』

1948年 映画『生きている画像』

(1949 映画「グッドバイ」監督島耕二 脚色小国英雄 原作は朝日新聞に連載された故太宰治の遺作、自殺によって十三回で中絶)

1950年 映画『夜の緋牡丹』
     復員後、日雇作業員に身を落として文学の道に精進する小熊隆介

1954年 劇団手織座を結成

1955年 映画『ジャンケン娘』 東宝作品
     

1964年 逝去

1966年 八田尚之文学碑
『夏休みなると/おれたちは道ばたの/ざっぱ木を拾い拾い赤岩ポントマルへ/毛コのはえた兄分は褌(ふんどし)/おれたちはふりちん /それっともぐり/一尋(ひろ)二尋きび悪いほど/青い岩肌に/めんこいがんぜ一つ二つ/腹時計がおひるになる/ざっぱ木のたき火に/がんぜのへそをぬいてほうりこむ /こんがり焼けたがんぜが/おれたちのひるめしだ/夕焼けると/みんなの唇は茄子(なす)色/ほら  鴉(からす)が家さかえってくぞ /おらたちもかえるべ/冷えてちぢまりきった/皆のきゅうすを揃(そろ)え/一二の三/おしっこの消火だ/ああ  あのがんぜが/出世して高価高貴の珍重味とは』

辰野隆 『感心派』の総帥