絵画の方程式  高橋士郎 多摩美術大学

はじめに
 「芸術的」の反対語として「機械的」という言葉が使われる。 コンピュータで絵画を描くというと、不愉快な気持ちがある反面、とても興味がわくことである。機械によって描く絵画であるコンピュータグラフィックスは、論理的なアルゴリズムによって、形の構造(モデリング)と光の陰影(シェイディング)を自動的に計算して画像を生成する。アルゴリズムの理論は、混沌とした現実の諸相を、抽象化し大系化する。反対に、創造的な画家は、自らの抽象的な思想を具体化し、キャバスに表現する。その具体化のプロセスは、画家の感覚的で情緒的なブラックボックスとして扱われ、正確な記述がなされることが少ない。本稿は、現代の実験的CGアルゴリズムを参考としながら、歴史的な絵画作品のモデリングとシェイディングを考察する。
1)国際コンピュータアート展1973東京
 パソコンの出現する以前、大型コンピュータの時代から、アーチストは絵画表現に挑戦し始めていた。1973年に東京のソニービルで開催された「国際コンピュータアート展」では、世界中から作品が応募された。利用されている出力装置は文字を印字する事務用のラインプリンタ、ペンで線グラフを描くXYプロッタ、大型計算機用のベクタースキャニング型の蓄光管などの極めて貧弱な表現力しか持たない出力装置である。
2)具象絵画の制作プロセス
 具象絵画の制作プロセスは、形態の構造を認識する過程と、形態を光の陰影で可視化する二つの過程に別けることができる。石膏像などの「デッサン技法」においても、先ず最初に線によって形を正確にとり、次に面の明暗を付けていく。ラスタースキャニング型の陰極管とフレームバッファーが登場するとCGのアルゴリズムは大きく発展した。CGの制作過程を記録したユタ大学の映像「ハーフトーンアニメーション」1972年は、最初に石膏模型の表面各点のXYZ座標を測定入力して各点をつなげるワイヤーフレームを生成し、次に生成した各面の明度を計算し、最後に円滑化する。この映像が発表されると大きな反響をよんだ。
 しかしながら、このシェイディング法は見る者と面の角度だけで明度を決定するために、光源の概念がなく、異様な陰影である。イタリアルネッサンス絵画の扉を開いたジオット「スクロヴェ-ニ礼拝堂」1304年やボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」1482年の陰影法は観念的で初期のCGのシェイディング法に似ている。
3)形態の生成:モデリング
 形態の構造は単純な線によって抽象化し、認識される。15Cルネッサンス期に透視投影の研究のために描かれたとおもわれる「聖餐盃素描」は、CGと同様のワイヤーフレームで描かれている。32分割の回転体に組み合わされた3つのドーナツ状の環の部分が、隠線消去されていないので、作者の関心が形態の表面ではなく、形態の構造にあることが明白である。「聖餐盃素描」の座標データを抽出しパソコンで再現してみると、その機械的な正確さが良くわかる。
 ゴッホが描いた「夜のカフェ」1888年のビリヤード台の影の形は、一見すると歪んだように見えるが、透視図法に則り忠実に作図されていて、ゴッホの潔癖な性格を表している。極端と見える歪みの原因は、画面の常識的なトリミングを越えて額縁の中におさめたためである。強烈な一条の電灯が、影を床に投影しているが、画面に柔らかく描かれている3灯の石油ランプが投影する影は描かれていない。CGで形態を生成する方法には、ワイヤーフレーム法以外にもメタボ-ル法やフラクタル法などが発表されている。
 通常、形態の存在は0か1かの2値で定義されるが、「メタボール法」の場合は、煙の濃度分布のように多値で定義される。ある点がその周囲に放射するエネルギーの分布において、等しいエネルギー点をつなげていけば滑らかな面となり、自然で豊かな量感を表現することができる。形による画面の構築を追求したセザンヌは「聖アントワーヌの誘惑」1867年で、人体を球で構成している。ドラクロアは「絵は、形の内部から外部に向かって、円く盛り上がってくるように描かなくてはならない」と述べている.
 フラクタル法 「フラクタル法」CGの場合は簡単なプログラムを、入れ子式に繰り返して、大変に複雑に見える形態を生成する。[フラクタル]次元は、人間が常識的に認識してきた従来の2次元や3次元の位相次元とは別に、1.26次元の図形などコンピュータによる新しい数学的な空間を表示する。
 ダビンチは水流がつくる複雑な形態のスケッチを多数のこしている。とめどなく変化する水の流れる様を静止画面に描写するためには、流体の原理を明らかにする必要がある。現代のスーパーコンピュータの計算能力で始めて流体のシミュレーションが可能となった。
4)シェイディング:光による陰影
 ダビンチは手記「絵画論」1436年の中で「光の入射角によって作られる角度が最も直角に近い時、最も明るい光が見られ、それが最も直角から離れた時、最も暗くなる」と記述している。CGのシェイデイング方法として一般的に普及しているランバートの法則は「物体の表面で反射する光の輝度は、入射と表面に対する法線ベクトルとが成す角度の余弦に比例する」である。ダビンチの述べている陰影法と、ランバートの法則は全く同じことを説明している。しかしながら、ダビンチは、このように「影」を描くのは良く無いと断っている。ダビンチは、影は描かれる物の形態を歪ませ、描かれる物固有の色を汚すと主張した。ダビンチは「絵画論」の別の箇所で、広い面積の拡散光源が、形と色を最も美しく見せると主張している。ラファエルロの「マリアの結婚」1504年に描かれた16角形の建物の陰影は、ダビンチの記述に忠実に描かれている。背景に描かれているような晴天の日ならば、建物の陰の部分には青空の拡散光が反映して、単純な暗色とはならないはずであり、建物と風景との間に光の整合性はない。ランバート法のCGコーネル大学「影の成生」1978年では、光の当たらない陰の部分はデータ無の暗黒となってしまう。したがって、光のあたらない陰の形を可視化する為に、あいまいな環境光を全体に加味する。同様に、光を受け止める物が存在しない背景部分も、宇宙空間のような闇となってしまう。
 パチオーリ著Luca Pacioli(1445-1514)「神聖比例」1499年の挿絵としてダビンチが描いたプラトンの立方体には、美しい陰があるだけで、影は描かれていないダビンチの「モナリザ」1505年にも明確な影が描かれていない。画面は影のない光によって照らされている。すなわち、ルネッサンス期の透視図法が、見る者の視点を原点として形を決定するのと同様に、ダビンチの絵画は、見る者の視点から発する仮想の光が画面の主調光となっている。ダビンチの考える優美で曖昧なぼかし陰影法に近いCGアルゴリズムは、ラジオシティ法のCG「構成派の美術館」コーネル大学1987年である。ラジオシティ法は、面が受ける光の量と、その面から発する光の量のバランスを、全ての面の間で相互に計算を繰り返して、拡散する間接光の柔らかい効果を表現する。
5)現実的な光源による質感の表現
 モザイク絵画の制作工程においては、モザイク片の色と形と位置を明確に決定しなければならない。イスタンブールのイスラム寺院の壁面から発掘されたビザンチン時代のモザイク画「天使像」は「入射角と反射面法線と反射角は同一面に存在する」という反射の法則に則り、顔肌の数箇所の白色ハイライトが、太陽の位置関係を正確に表現している。また、太陽の光が直接に当たらない顎の下の陰の部分は、周辺からの反射光を反映して紫色に表現されている。反対に画面の背景は、宗教的な効果をあげるために、現実のものではない無の空間を群青色で表現し、太陽光に照らされて黄金色に輝く天使像を浮かび上がらせている。このように現実的な光の効果は西欧中世の絵画にはみられない。
 工業デザインで描かれる「レンダリング技法」の場合は、リフレクションの効果を多用して、現実感を演出する。 このような現実的な光源を復興したのは、北方ルネッサンスである。ファンアイク「ファンデルパーレの聖母」1436年に描かれた宝石や金属部分の鏡面反射および布部分の拡散反射は、画面には描かれていない左側の窓の光源を正確に反映し、空間幾何学的な整合性をもっている。同じくファアイク「アルノルフィニ夫婦の肖像」1434年のシャンデリアの金属部分は、室内の壁面と窓の虚像を描くことによって表現されている。コーネル大学の研究発表「反射係数の効果」や「反射光の分布」は、物体表面の円滑度と反射係数の変化による、質感の表現をシュミレーションしている。
 ルーベンス「最後の審判」1616年の 人体群像において、肉体を照らす光は肌色のフィルター効果によって赤味を増し、近接する肉体の直接光のあたらない部分の肌を赤く染める。しかしながら同じルーベンス「勝者の戴冠」1612年の場合は、人肌と鏡面の甲冑が隣接していながら相互に反射光の影響がないのは奇妙である。また同じくルーベンスの「花環の聖母」1620年の肌色の諧調を観察すると、陰の部分と景の部分の中間帯の、直接光も反射光もあたらない部分に、わずかに青味を帯びた第三の陰影が出現する。この第三の陰影は、モチーフの人物が褐色の暗い空間にありながら、太陽と青空の下にあることを暗示している。
 電灯の発明によって、絵画表現に新しい光源が加わった。パーティー会場から抜け出し、真っ暗な夜の闇で涼む人物を描いている現代的なイラストレーションは、寒色と暖色の対立する色調よって劇的な効果をねらっている。右からはエジソンが発明したタングステン電球の燃える光が、左からは月光の冷たい光が照らしている。
6)オブジェと環境
 写実的な光の効果を正確に計算するCGアルゴリズムがレイトレ-シング法 Ray Tracingである。レイトレーシング法は、画面の一点を通過して視点に到る光線が何処から来るかを、逆に視線の方向から追跡計算を行う。レイトレ-シング法で描かれたベル研究所の「市松模様とガラス玉」1980年には、画家が想像しえない様々な種類の虚像が自動的に計算され出力されている。ガラス球のレンズ効果で屈折した市松模様・ガラス球の内側と外側の表面に反射した二つの市松模様・ガラス球の肉厚の中を屈折してきた市松模様などである。
 ゴッホの「アルルのはね橋」1888年に描かれたはね橋の日陰部分は、水面の青色を反映して水色に描かれている。水面の青色は大空の大気発光の青色の反映である。一方、ひなたの橋脚の石積みは黄色い太陽を反映している。すなわち、オブジェを描くことは、オブジェがおかれた環境そのものを描くことになる。印象派は、光を描くことに専念した結果、すでにレイトレーシング法を発明していたといえる。
7)おわりに
 抽象的な論理体系を目指すアルゴリズムと、具体的な絵画表現を目指す創作は、相反する方向である。しかしながら、混沌とした現実を観察して、大系を認識し、再び現実に表現するという、創造活動の循環において、両者は共通の場を回っているにすぎないのであろう。機械の発明以前に、機械は人々の心の中に用意されていたとルイス・マンフォードは著書「技術と文明」1934年で指摘している。中世の僧院における、定刻によって進行する戒律生活は、その後の時計の発明を予定しているという訳である。
 以上に述べたように、ダビンチの曖昧な拡散光、ファンアイクの質感描写、ゴッホの太陽と青空など、歴史的な絵画は現代のCGと共通するアルゴリズムを追求している。「芸術」も「機械」もどちらも人間性の一部であるに違いない。考えてみれば、キャンバスの表層にイメージを定着する絵画作品も、半導体にプログラムを書き込むCGも、どちらもバーチャルリアリティを追求する、重力のおよばない仮想の世界のことである。CGアルゴリズムは、あいまいな絵画理論に明快な方程式をあたえ、理論の上に理論を構築する。CGアルゴリズムによって明らかになった理論は、CGアルゴリズムによってまだ明らかになっていない未知の領分も明らかにする。キュービズムやアンフォルメルに相当するCGプログラムが試行され、フラクタクルに相当する絵画が試みられている。