「漫画と技術」 KIMURA 木村 匡孝

漫画と技術は一見まったく別の業種ではありますが新しいものを作り出す仕事にかわりはありません。
両者とも戦後の日本人を支え今では日本を代表する文化にまで発展しました。
前者は戦後の貧しい時期から大衆に娯楽と希望を与え大人から子供まで楽しむことの出来る空想として独自の発展を遂げ、後者は当時の日本に圧倒的に足りなかった「物」を補うべく日本の高度成長を支えていきました。そして21世紀になってもなお、両者ともこの日本で進化を続ける発展途上の分野でもあります。
人間には「空想をする」という感情があり、自身の欲求や感情、そのほかの行動を保つのにそれは費やされそういった感情はときに人々の心をも動かしそれが社会の基盤や生活の基準になることもあります。「空想」には我々のこれはこうあってほしい、ゆくゆくはこうなってほしいといったパトスが含まれ、よく出来た空想ほど人の心を動かし影響を与えるのはそれが万人が感じている社会とのずれや境遇への違和感、欠如を反映しているからではないでしょうか。そしてその違和感や欠如をなくすため人は空想をはたらかせ技術を用い新しいものを作るのです。
空想を養う為の「漫画」と実現させる為の「技術」。これは意外にも戦後の日本人には不可欠なものであり両者がここまで発展したのは単なる偶然ではなかったのかもしれません。
現代ではそこら中にモノがあふれていますから空想をはたらかさなくとも必要なものは手に入るかもしれません。便利なものもたくさんあります。しかし自分にとって本当に必要なものが今そこに用意されているとは限らないようなどうにも満たされない感覚や本当に自分が欲しているものがわからないといった感覚は用意されたものに慣れきった現代人の弊害なのではないかと考えてやみません。

さきほど述べたように「空想」と「技術」は密接な関係を持っています。
この世に無い新しいものはまずは想念から始まり詳しい情報をまとった空想となり妄想や情念を帯び必要に応じて技術の力を借りてこの世に現れます。
例えばかつて手塚治虫により「鉄腕アトム」が生まれ約50年の歳月をかけてHONDA社による「ASIMO」が生まれました。不可能と言われつつもそこに挑戦し実現させようとする異端はいつの時代もいるようで現在のロボット開発、特に最先端の二足歩行ロボットや人工知能を手がける技術者の方々は少なからず幼い頃に観た漫画やアニメの影響でその道を志したと口にします。
日本人のロボットに対する価値観や概念は欧米諸国にくらべとてもポジティブです。「パートナーとして」「介護目的で」と言った倫理観を日本人がロボットに持つのは幼少期にみた漫画やアニメが起因していると言われています。今や日本はロボット先進国になりましたが、これの要因となった日本的ロボットの父はもとをたどると「鉄腕アトム」を生み出した手塚治虫ということになるかもしれません。彼は自身の空想の中でロボットのイメージを作り、背景を作り、人格を作りました。これが次世代、また次世代と姿形をかえながらフォローされ続けとうとう空想の中だけにとどまらず物体化しました。
結果日本はソフト面とハード面とでロボット先進国となったのです。
もしも手塚治虫氏が「鉄腕アトム」を発表しなかなかったら一体どうなっていたのかと私は考えてやみません。

これは「空想」と「技術」の関係のほんの一例にすぎませんが
漫画の表現において重要なことは読者を納得させることであり、実世界の法則や規則はそこまで重要ではなく「空想」として成り立ち不自然さを感じさせない表現こそが重要であると考えられます。突飛なアイデアや斬新な想像はまずあたまのなかで処理するのが具合がいいということです。
造形に携わる人は作ろうとするものが立体物として成り立つよう、しっかりと地面に立ち、形を維持できる素材を選び、あわよくば環境にも歳月にも耐えうる造形物を作ろうとまず考えます。しかしそれにより形や素材を犠牲にしなければならないことや、ちゃんとした立体物を作ろうとするあまり無意識のうちに当初のインスピレーションの解像度が薄まってきてしまうことがままあります。
そういった感覚は人ぞれぞれですが主に空想を生業とする人々はその作品の中に独自の規則や法則を作り出します。たとえそれが実世界ではあり得ないことであっても「これがこうならないはずが無い」という確固たる意思と作品における強い衝動があり、「空想」を作り出す漫画家や作家が考えるものは物体を作ることを生業とする私たちにとって時折目から鱗が落ちるような感覚を与えてくれることがしばしばあるのです。

レオナルド・ダ・ヴィンチの残した数々のスケッチは現代でも通用するくらい綿密に構造がなされ私たちを魅了してやみません。彼のスケッチには現代でいう動力はなく、馬や人、その他何かがエネルギーとなって力を加えています。動力という概念がなくてもこの機械が成り立つといったことを示せたのは「こうすれば必ずこうなる」という空想的なアプローチとそれを証明すべく入念に調べ上げられた知識、様々な経験で得た自信の表れだったのではないでしょうか。
「空想を持った技術者」
彼が天才と言われる由縁はそこにあると私は考えます。
空想がなければ新しいものは生まれない。そして時には常識を逸脱する行為によって新しいものが生まれるのだということをものづくりに携わる人間は忘れてはならないと常に私は感じるのです。2009年より漫画家ロビン西氏と始めた「漫技展プロジェクト」はそういった意味合いを込めて行われています。「空想」を「技術」により可能な限り実現させていくこと。この感覚は現代においても忘れたくはないものです。私たちがこれを行いそれに何の意味があるか、その行為によって何かが変わるのかはわかりません。ただ私たちはその感覚を忘れない為にも空想にふけり、実現を目指すのです。

●漫技展プロジェクトとは
漫画家ロビン西の考える空想物を技術屋KIMURAの手により可能な限り再現し作品が完成に至るまでのプロセスを全て展示対象とするユニークな企画展。漫技展作品の制作プロセスは大まかに分けて「空想」「赤ペン添削」「本スケッチ」「製図」「本制作」に分けられます。発想から完成までの両者のやり取りをよりそ密に、スピーディにすることで作者すら最終形態がわからないハプニング的要素も併せ持っています。
こうして両者のやり取りの中でお互いの得意分野を駆使し一つの作品を作り上げていくことが漫技展の趣旨であり醍醐味なのです。
漫画家:ロビン西 1966年 大阪生まれ。1985デビュー。代表作品「マインドゲーム」は、STUDIO4℃より劇場アニメ映画化され、文化庁メディア芸術際大賞、毎日映画コンクール大藤信朗賞他、海外でも数々の賞に輝く。
技術屋:KIMURA 1981年 東京生まれ 明和電機のアシスタントワークを経て独立後、「KIMURA工場」を設立。エンジンやモータを用いたKIMURA式自走機シリーズや 誰に頼んでいいかわからない機械の受注、生産を手がける。現在日本全国はおろか世界各国へ向けてバカ機械を納品中。